長坂真護氏の「MAGO STUDIO TOKYO」を訪問。社会課題を超えて作品が生まれるまで
目次
今回、Amalgam Art Galleryでは長坂真護氏の「MAGO STUDIO TOKYO」を訪問し、ご本人に作品や活動についてお話を伺いました。
特別に案内していただいた空間には、ガーナでの活動を起点とする代表作から、現在取り組んでいる新しいシリーズまでが並び、作品の背景にある思想や制作のプロセスを直接うかがうことができました。
電子廃棄物や衣類廃棄といった社会課題に向き合いながらも、長坂氏の作品には、自然への視線、資本主義への問い、そして人間社会そのものを見つめる視点が感じられます。
今回は、スタジオアトリエを巡りながら見えてきた、長坂氏の活動、作品、そしてこれから目指す姿をレポートします。
長坂真護について

世界最大級の電子廃棄物の集積地・ガーナのスラム街「アグボグブロシー」。
長坂真護(MAGO)は、この場所で生きる人々との出会いをきっかけに、廃棄物をアートへと昇華する独自の活動を続けてきました。
2017年に初めて現地を訪れて以来、「文化・経済・環境」の3つを同時に動かす創造の形を模索しながら現地の人々と共に歩んできました。
現在は、アート制作にとどまらず、リサイクル工場、農業、EV開発、教育、サッカーチーム育成など、多角的な事業を展開しています。
アート作品は国内外のギャラリー・美術館・百貨店で展示され、現在は国内外で高い評価を受けるようになりました。
長坂氏の根底にあるのは、変わらず 「現地の人々の命と未来を守りたい」という純粋な動機です。
「買ってくれた人も、現地の人も、地球も喜ぶ。
文化・経済・環境が同時に動くのが、本当のサステナブルだ」
長坂氏の活動は、ギャラリーでの作品発表とガーナでの現地活動の両方を行き来しながら続けられています。
長坂氏の活動の原点と考え方

ガーナのスラム街「アグボグブロシー」には、世界中から使えなくなった電子廃棄物が集まってくる。
長坂氏が初めてその場所を訪れたのは2017年。そこで目にしたのは、電子機器を燃やし、金属を取り出す作業を続ける人々の姿でした。
PM2.5の計測器が振り切れてしまうほどの大気汚染。30代、40代で命を落とす人が多いという現実。当日スタジオアトリエを訪問した際にも、数日前にも現地スタッフの青年が急逝したことを長坂氏が話していました。
前日まで一緒にサッカーをしていた仲間が、翌日に亡くなってしまう。その現実が、長坂氏の活動の根にあります。
長坂氏は、この状況を「後進国のインフラ不足」ではなく、資本主義社会の構造が生み出した問題として捉えています。
そして、アートを通じて問題を知らせるだけではなく、資本主義の仕組みを使って課題に向き合うという方向へ踏み出しました。
その中心にあるのが、長坂氏が掲げる「サステナブル・キャピタリズム(持続可能な資本主義)」という考え方です。
電子廃棄物を素材に作品を制作し、先進国で発表する。そして、その売上をガーナの事業へと投資する。寄付ではなく雇用を生み、現地で経済が循環する仕組みをつくることまでを含めて、長坂氏はアートの実践と捉えています。
環境・文化・経済の3つを同時に動かしながら、問題を「知ってもらう」だけで終わらせない。アートを起点に、課題解決へ踏み込むための循環をつくることが、長坂氏の活動の根幹にある考え方でした。
電子廃棄物を作品へと変える理由

長坂氏が電子廃棄物を作品に取り入れる理由のひとつは、「環境中にあるゴミをアートに変えることで、物理的にごみを減らす」ことにあります。
現地で回収した廃材は、そのまま作品の素材になります。作品化することで、廃棄物は燃やされるものから価値を持つものへと変わり、環境への負荷を少しでも減らす行為そのものが制作と結びついているのです。
さらに、作品を世界に向けて発表することで、多くの人が問題に触れるきっかけをつくっています。
2025年末に福井県で開催された個展には、およそ1万1千人が来場。作品を通じて、電子廃棄物の問題に触れた人がこれほど多くいたことは、長坂氏にとって大きな意味を持っていたようです。
作品に込められた長坂氏の想い

長坂氏の代表作には、ガーナでの経験が深く結びついています。電子廃棄物の山を前にしたときの衝撃や、そこで暮らす人々との関わりが、作品の根にある視点を形づくっています。
たとえば、代表作のひとつである《真実の湖》シリーズ。この作品群には、ガーナで見た現実と、そこから生まれた問いが静かに重なっています。大量消費社会の影、環境への負荷、そしてそこで生きる人々の姿。それらが象徴としてではなく、実際に触れた出来事として画面の奥に重なっています。
また、長坂氏は作品をつくる際、「現地の人たちがどう生きているか」「自分が何を見て、何を感じたか」といった視点を大切にしていると話していました。
作品は現実と向き合った時間や感情が表れているようでした。画面には言葉にしきれない、重さと静けさが同時に存在しています。
自身の経験を作品そのものの中にそっと沈めていくような姿勢が印象的でした。
相対性理論から見るアートの価値
長坂氏は、作品の価値についても独自の視点を持っています。
アトリエでの説明の中で語られたのが「相対性理論」を手がかりにした考え方でした。
長坂氏は、自身の作品が大きく評価されるようになった理由を、技術や画力だけでは説明できないと捉えています。
ガーナの電子廃棄物を素材にした作品が、なぜ数千万円という価格で取引されるのか。その理由を考えたときに思い至ったのが、物事は単体ではなく「関係性」の中で価値を持つという考え方でした。
たとえば、先進国の豊かさと、ガーナのスラムに存在する現実。その二つの距離が極端に離れているからこそ、そこに生まれるエネルギーが作品の見え方を変えているのではないか。
長坂氏はそれを、相対性理論のような構造として捉えています。
作品の価値は造形だけで完結するものではなく、その背景にある社会や時間、現実との結びつきによって形づくられていく。そんな考え方が、長坂氏の言葉から見えてきました。
《月》シリーズに表れる、もう一つの世界観

長坂氏の作品には、ガーナでの経験を起点としたシリーズとは別に、「月」をテーマにした作品群があります。そこには、自然や宇宙に対するまなざしが込められています。
ガーナの作品が、現実を起点としているとすれば、月の作品は祈りや静寂を起点としているように感じられます。画面には、社会の構造や環境問題とは異なる、より普遍的で、時間の流れを超えたテーマが漂っています。
長坂氏は、社会課題に向き合う作品と静かな世界観を持つ作品を同じ姿勢でつくり続けています。それぞれが独立しているのではなく、長坂氏の中にある複数の視点が、自然に作品として表れている印象でした。
長坂氏はどのように作品を生み出しているのか

アトリエでは、長坂氏がどのように作品を生み出しているのか、制作のプロセスについて直接話を聞くことができました。
印象的だったのは大作であっても下絵を描かないという制作スタイル。まずイメージがあり、そこから絵が形になり、あとから言葉が追いついてくる。
まるで作品そのものが作家の思考を言語化させていくように制作が進んでいくのだそうです。
また、制作の中で大切にしているのは「自分が何を見て、何を感じたか」という感覚の部分。社会課題を扱う作品の中でも、自身の体験や感情が自然に画面へと流れ込んでいくように感じられました。
アトリエには、日本の暦にある「二十四節気(季節を24に分ける考え方)」をテーマにした大作も置かれていました。
人間が季節を見ているのではなく、季節の側から人間が見られているのではないかという視点の反転。自然のリズムの中で、人間の営みや資本主義の構造がどう映るのか。
その問いが画面全体に静かに表現されています。
資本主義の豊かさと醜さ、自然への感謝と畏れ。相反するものが同じ画面に同居し、ゆっくりと佇んでいるような印象を受けました。
作品が作家自身の思考を言語化していく
長坂氏は「作品が完成してから自分でも意味を理解していく感覚がある」と話していました。
言語化されていない感情を、まずビジュアルとして描き出す。アートが先にあり、言葉はあとからついてくる。その順序が、作品の奥行きをつくっています。
作品は、作家自身の思考や感情が結晶化したもの。スタジオアトリエでの時間は、そのプロセスを間近で感じられるひとときでした。
アトリエで見えた新たな制作の試み



アトリエには、これまでの作品とは異なる方向へと広がる、いままさに進行中の試みがいくつも並んでいました。ガーナでの経験を起点とした作品群とはまた違った長坂氏の視点の広がりや、思考の更新を感じられる空間でした。
まとめ

アトリエで過ごした時間は、長坂氏の作品がどこから生まれ、どこへ向かおうとしているのか、その現在地に触れるひとときでした。
ガーナでの経験を起点にした作品群。自然や宇宙へと視点を広げる新シリーズ。不要とされるものを、別の価値として捉え直す発想。抽象と具象のあいだから浮かび上がるモチーフ。そして、資本主義や自然、宇宙へと広がるテーマ。
いずれも長坂氏の中で広がっている思考がそのまま作品の中に表れていました。
社会課題に向き合う活動と、作家としての根源的な制作がつながっていく。
長坂氏の生み出す作品はこれからどんな形へと育っていくのか。作品を通じて、また新しい景色が見えてくるはずです。