草間彌生ってどんな人?今も活動中?作品や展覧会の情報を紹介
草間彌生は長野県出身の前衛芸術家で、水玉模様を特徴とした色彩豊かな作品で世界的に知られています。香川県直島町に設置された野外美術作品「南瓜」は、観光スポットとして多くの人々に親しまれています。また、2023年にはルイ・ヴィトンとのコラボレーションを実施するなど、その影響力の強さがうかがえます。
草間彌生はこれまでに900点以上の作品を制作・発表しており、また展示場所も様々です。また草間彌生は「前衛の女王」とも呼ばれる、前衛芸術の第一人者であり、その作品の意図・メッセージを汲み取るには、ある程度の知識と素養が求められます。
そのため、アートに疎い方が、作品を鑑賞し、その価値を理解するのは、非常に難しいといえるでしょう。
当記事では、草間彌生のアート作品に関心があるという方に向けて、草間彌生のアート作品を最大限楽しむにあたって必要な知識・情報をご紹介します。
目次
草間彌生のプロフィール
草間彌生は、長野県松本市出身の前衛芸術家です。文化勲章・高松宮殿下記念世界文化賞などの高名な賞を数多く獲得しているほか、名誉都民・文化功労者と認定されるなど、さまざまな分野・業界から、その功績が高く評価されています。
彼女は10歳の頃から、水玉模様・網目模様などの、独自のモチーフを用いた作品を数多く制作・発表しており、1945年に開催された第1回全身州美術展覧会においては、名だたる顔ぶれの中、16歳の若さで入選を果たすなど、早い時期から、自らの才能を世間に対し示してきました。
草間彌生の特徴は、独自の創作技法にあります。彼女の代名詞とも言える水玉模様(ドット・ペインティング)は、幼少期より彼女を苦しめてきた幻聴・幻覚から身を守るため、彼女が身につけたものです。
こういった生来のスキルに加え、合わせ鏡を用いることで、空間内の光やオブジェクトを無限に拡張する技法などといった、彼女が長いキャリアの中で習得した独自のスキルによって、彼女は、他に類を見ない、唯一無二の作品を生み出すことに成功しています。
生涯と経歴
草間彌生は1929年、長野県松本市に生まれました。実家は、種苗業を営む裕福な家庭で、彼女は幼い頃から草花をスケッチすることで、芸術に親しんでいたとのことです。その一方で、彼女は幼年期より統合失調症と呼ばれる精神疾患に苦しめられており、繰り返し襲う幻覚や幻聴を、軽減する目的で、アートを始めたと言われています。
1945年、疎開してきた画家らが中心となって立ち上げた「第1回全信州美術展覧会」において、草間彌生は名だたる顔ぶれの中、16歳の若さで入選を果たしました。その後、彼女は松本高等女学校(現:長野県松本蟻ヶ崎高等学校)を卒業後、京都市立美術工芸学校の4年生最終課程に編入して日本画を専攻しました。
そこで彼女は、のちの創作活動においても役立てることができるが方を数多く学んだのですが、当時の画壇には、旧態依然とした制度・組織体系が数多く存在しており、落胆した草間彌生は、実家に戻り、寝食を忘れて絵を描く日々を送ることとなりました。
1952年、草間彌生は松本市公民館(旧 : 松本市公会堂)にて、初めての個展を開きました。この個展には、精神科医の西丸四方氏、式場隆三郎氏などといった著名人が数多く訪れ、彼女の才覚に感銘を受けたそうです。
その甲斐あり、2度目の個展では、彼女が師と仰ぐ松澤宥に賛助出品してもらえたほか、パンフレットに、当時、松澤宥と懇意の仲にあった美術評論家・瀧口修造らの寄稿文も掲載されるなど、草間彌生の作品とその才能は、広く世間に認知されるようになりました。
その後、彼女はアメリカに渡り、1957年にはシアトルで、1959年にはニューヨークで、それぞれ、展覧会を開催しました。ハプニングと呼ばれるパフォーマンスアートを行い、「前衛の女王」と称されるようになったほか、平和・反戦運動にも積極的に参加し、彼女のニューヨークにおけるキャリアは確固たるものとなりました。
しかし、1973年、親友でパートナーのジョセフ・コーネルが死去したことにより、心身のバランスを崩してしまった彼女は、日本で入院することになりました。以降、東京を主な拠点として、アーティストとしての活動を行っています。
アーティストとしての活動
草間彌生は幼少期より自身を苦しめてきた幻聴・幻覚を元に、創作活動を行なっています。彼女の代名詞とも言える水玉模様をふんだんに使った作品(ドット・ペインティング)はもちろんのこと、網目模様を全面に張り巡らせた、ネット・ペインティングと呼ばれる作品などは、それらの病状から身を守るため、彼女が身につけた技法だと言われています。
精神病の症状さえも、自らの強みに変える彼女の姿勢に、エンパワーメントされた精神疾患当事者は少なくないと言われています。
また、草間彌生の魅力はそれだけではありません。彼女は、男根やカボチャなどの、他の芸術家が選ばないモチーフを題材に、作品を制作しました。このような大胆なテーマの選択によって、彼女の作品はより一層注目を集め、アートの新しい表現の可能性を示す存在として大衆に広く認知されるようになりました。
草間彌生は絵画や彫刻だけでなく、映画や小説など多岐にわたるジャンルで作品を制作しています。1983年には、小説『クリストファー男娼窟』で、第10回野性時代新人文学賞を受賞しており、このことからは、彼女が視覚芸術にとどまらない多彩な才能を持っていることがうかがえます。
文化と時代背景
草間彌生が活動を開始した1950年当時、彼女のように、精神疾患を持つ女性アーティストが、正当な評価を受けることは、簡単なことではありませんでした。当時の美術界には性差別が根強く、精神疾患に対する偏見や差別も多く存在していたからです。
草間彌生は自著「水玉の履歴書」の中で、当時の状況を次のように振り返っています。
『日本は伝統の良さを失い、醜く近代化してしまった』
彼女が一時期、日本からニューヨークへ活動の拠点を移したのは、こうした背景が影響しているものと思われます。
草間彌生の代表作
かぼちゃ
草間彌生の代表作の一つとして広く知られているのが「かぼちゃ」です。この作品は1999年に制作され、現在は松本市美術館に収蔵されています。
この作品は、草間彌生が幼少期より抱いてきた変身願望を表しています。というのも、彼女の作品において多用される水玉模様や網目模様などといったモチーフの多くが、彼女の幻聴・幻覚と密接な関係にあるのに対し、「かぼちゃ」はそうではないからです。
草間彌生は、かぼちゃの「愛嬌のある形」と、「太っ腹の飾らぬ容貌」に惹かれるとともに、かぼちゃが持つ、これらの特徴に対して「たくましい精神的力強さ」を感じたのだと語ります。つまりこの作品における「かぼちゃ」とは、草間彌生の「こうありたい」と願う姿そのものだと言えるでしょう。
またこの頃より、草間彌生はかぼちゃを題材にした作品を数多く制作しており、香川県に設置された野外美術作品「南瓜」もまた、そのひとつです。これらの作品はグッズとして姿を変え、販売されていることもあるので、興味がある方は、この機会にぜひ、チェックしてみてください。
無限の鏡の部屋(Infinity Mirrored Room)
1965年に発表された「無限の鏡の部屋」は、草間彌生の芸術、その独創性を人々に知らしめました。この作品はいわゆるインスタレーションとなっており、鑑賞者自らが作品の一部になったような感覚を体験できるのが醍醐味となっています。
ナルシスの庭
ナルシスの庭は、2022年、直島の『ベネッセアートサイト直島』に創設されたアート・ギャラリー「ヴァーレギャラリー」に展示されている、インスタレーション作品です。しかし、当初の「ナルシスの庭」は現在とは異なる形態であったと言われています。
この作品の起源は1966年に遡ります。1966年に開催された国際美術展覧会、ヴェネツィア・ビエンナーレの会場に、草間彌生がミラーボールと「あなたのナルシズムを販売します」と書かれた看板を持って登場したのが、この作品の初出とされています。
こういった、見るものの価値観に揺さぶりをかける様な内容のパフォーマンスアートも、草間彌生による芸術のひとつの特色だと言えるでしょう。
愛はとこしえ
『愛はとこしえ』は2004年からおよそ3年の期間をかけて制作された連作です。作品数は50点を超え、すべてがシルクスクリーン技法で描かれています。この作品は白と黒の2色のみで表現されています。
草間彌生の色彩感覚に魅了されている方には物足りなく感じられるかもしれませんが、点や線、目、水玉模様などのモチーフが大胆に描かれており、モノクロームでありながらも一目で彼女の作品とわかる特徴が随所に見られるため、そのような方であったも、きっと、楽しめるはずです。
黄樹
『黄樹』は、1999年に発表された絵画作品で、現在、フォーエバー美術館に収蔵されています。この作品の大部分を構成する樹木はいずれも、黒地に黄色の水玉で描かれており、その繊細な描写からは、脅迫的ともいえる植物の生命力を感じることができます。
無限の網
「無限の網」は、Infinity Netsシリーズの一作品です。また、草間彌生が2012年に出版した自伝にも同じタイトルが付けられており、このことから、この作品が彼女の人生において非常に重要な役割を果たしていることがわかります。
七色の富士
七色の富士は、2015年に制作された版画作品です。草間彌生が制作した元絵を参考に、アダチ版画が木版の作成と本刷りを担当しました。版画ならではの力強い雰囲気が、作品全体に独特の魅力をもたらしています。色鮮やかな富士山の表現は、草間彌生の大胆な色彩感覚とアダチ版画の精緻な技術が融合し、見る者に活力を与えます。
ドッツオブセッション
ドッツオブセッションは、1980年代後半より、随所で展示が行われてきた、インスタレーション作品です。共鏡を駆使することで、空間の大半を占める水玉模様を、無限に拡張するという創作技法は、草間彌生ならではのものであり、この作品からは、彼女がインスタレーションの分野において、高い評価を得ている要因を垣間見ることができます。
草間彌生に関するよくある質問
草間彌生の作品で最も高い値段がついた作品は?
草間彌生の作品の中で最も高額で取引されたのは「無題(網)」です。この作品は、Infinity Netsシリーズのひとつで、白地に黒い線で描かれた網がキャンバス全体に広がるシンプルながら大胆な技法が注目されました。
2022年にニューヨークのフィリップスで行われた競売では、この作品が1050万米ドルで落札され、これより、草間彌生は史上最も成功した女性画家の一人となりました。
草間彌生の作品が見れる展覧会・美術館は?
草間彌生は2017年、東京都新宿区弁天町に草間彌生美術館を創設しました。他にも、「ナルシスの庭」が展示されている直島の「ヴァーレギャラリー」などでも、草間彌生の作品を鑑賞することが可能です。
まとめ
草間彌生は、草間彌生は長野県出身の前衛芸術家で、水玉模様や網模様を駆使した、色彩豊かな作品で世界的に知られています。60年代には、過激なパフォーマンスにより、『前衛の女王』と称されました。
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