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キース・へリングってどんな人?作品や美術館の情報を紹介

キース・へリングってどんな人?作品や美術館の情報を紹介
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現代アートに興味がありキース・ヘリングの名前や作品を目にしたことはある。しかし、彼の人となりや作品について詳しくは知らない、という方もいますよね。

キース・ヘリングはアート作品の値段が高すぎると考え、大衆のためのアートを届けたいという思いのもとで活動し続けたアーティストです。

作品がユニクロのTシャツにプリントされるなど、彼の思いは今もなお受け継がれています。アートに特に興味のない方でも、彼の社会問題へのメッセージが込められたアートを、手軽に楽しむことができるのです。

今回は、大衆性と批判性を兼ね備えたポップアートの巨匠、キース・ヘリングの生涯と作品、彼の作品が見られる美術館を、詳しくご紹介します。

キース・ヘリングのプロフィール

キース・ヘリングのプロフィール

ここでは、へリングのプロフィールを見ていきましょう。

生涯と経歴

キース・へリングは1958年5月4日、アメリカのペンシルベニア州で生まれました。両親と3人の妹たちとともに、カッツタウンという小さな町で幼少期を過ごしています。

エンジニア兼漫画家の父、アレン・へリングから基本的な漫画の描き方を学び、ウォルト・ディズニーや、絵本作家ドクター・スースなどの影響を受けました。いつも絵を描いている子どもだったそうです。

高校に入るころから、アーティストになる夢を抱き始め、高校卒業後はピッツバーグのアイヴィ・スクール・プロフェッショナル・アート(職業美術学校)に入学します。

しかし、自分の本来の夢は商業的アーティストになることではなく、真の芸術家として成功することだと気づき美術学校を中退してニューヨークに移ります。

1978年、美術の名門校、スクール・オブ・ヴィジュアル・アーツに入学します。在学中、ギャラリーや美術館などの主流のアートシーンではなく、ストリートで活動するオルタナティブ・アート・コミュニティと出会いました。

1980年、ニューヨークの地下鉄で始めたドローイングを皮切りに、反戦や反差別、エイズやLGBTQなどのテーマを、シンプルな線と明るい色彩で描き続けます。彼の作品は世界中であらゆる年代のファンに愛されるようになりました。

アーティストとして世界を駆け回り、エネルギッシュに活動していたへリングは、1988年、アメリカで蔓延していたエイズを発症しました。1990年2月16日に31歳でこの世を去ります。死因はエイズによる合併症でした。

アーティストとしての活動

へリングは、アートを通して自分の思想を発信し続けるアクティビストでした。ポップアートは大衆に渡るべきという考えのもと、世界中のさまざまなシチュエーションで、精力的に作品を発表し続けました。

彼のアーティストとしての主な活動を年代を追ってご紹介します。

制作年・アーティストとしての活動
1978
・ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツに入学
1980
マンハッタンの地下鉄の使われていない広告の裏に白チョークで描く、グラフィティアートが注目を浴び、1日40カ所以上でドローイングを行う
・初の個展を開催
・ギャラリー以外のクラブやシアターにおいて、自らのキュレーションで作品を発表する
1982
・ニューヨークのロウアー・イースト・サイドの壁に大規模な壁画を制作
・ドイツの国際展「documenta7」に出品
・ 1日40点の驚異的なスピードで制作に取り組む
1983
・サンパウロ・ビエンナーレ、ホイットニー・ビエンナーレに出品
・イギリスの気鋭のデザイナー、ビビアン・ウエストウッドと、歌手マドンナのMVの衣装をコラボ
・デビッド・ボウイやマルコム・マクラーレンのアルバムジャケットのアートワークを手掛ける ・最先端のミュージックシーンでの活動が評判となり、一躍スターダムにのし上がる
1984
・ヴェネチア・ビエンナーレに出品
・オーストラリアのメルボルン、シドニーで壁画を制作
1985
・南アフリカ開放を啓発するポスターを制作 政治と連動した作品を制作するようになる
1986
・ニューヨークのソーホーにポップショップを開店
・オランダのアムステルダム市立美術館で、美術館では初となる個展開催
1987
・アントワープやヘルシンキをはじめ世界中で個展を開催
・マドンナのクリスマスアルバムのアートワークを担当
1988
・シャトー・ムートン・ロートシルトのワインラベルのデザインを手がける
エイズ発症
1989
・エイズなどの社会問題から目を背ける体制を批判した作品、「Rebel with Many Causes」を発表
・ エイズ啓発デー記念の壁画プロジェクトに参加
1990
・永眠 ニューヨークのセント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂にて追悼式
2024
・六本木森アーツセンターギャラリーでキース・ヘリング展 開催

文化と時代背景

へリングが生きた80年代のアメリカは、インフレの影響で貧富の差が広がりました。治安が悪化して、ニューヨークは世界有数の犯罪都市と言われるようになります。

混沌とした社会の中で、彼はアートを通じて社会の問題や、人間の感情、思考を表現することに情熱を注ぎました。

へリングは、ゲイであることを公表していました。性的マイノリティに対する差別に警鐘を鳴らすため、自らのセクシュアリティを反映した作品を発表し、LGBTの擁護活動を行うようになります。

1981年のエイズ発見後、世界中がパニックに陥り、エイズへの恐怖が同性愛者差別を助長しました。1988年にエイズと診断されたへリングも、この差別の波にのまれてしまうのです。

翌年、エイズ感染を公表したへリングは、エイズ患者支援活動や子どもへの福祉活動を開始し、その一環としてキース・ヘリング財団を設立しています。

彼は社会の暴力や不平等、エイズへの偏見と支援不足に対し、最後まで闘い続けました。彼の活動は、多くの人々に影響を与え、彼の死後もアートと社会活動が結びつく可能性を示唆し続けています。

キース・へリングの代表作

へリングは、地下鉄の壁画からキャンバス作品まで、生涯で数千点の作品を生み出しました。ポスターは100点以上、世界中の都市でパブリックアートを50点以上残しています。

その中から代表的な作品をご紹介します。

光輝く赤ん坊

Radiant Baby
引用:キース・ヘリング展 アートをストリートへ KEITH HARING Art to the Streets

「光輝く赤ん坊(Radiant Baby)」へリングが信じていた『赤ん坊は世の中で一番純粋で、人類が存在する上で最高な経験』という思いを表現した作品です。繰り返し描かれた、彼の代表的なモチーフです。

世界中のエイズとの戦い

アートを使ったエイズとの戦い - キース・ヘリング |Google Arts & Culture
引用:アートを使ったエイズとの戦い – キース・ヘリング |Google Arts & Culture

1990年、国際連合協会世界連盟から依頼されてデザインした、エイズ撲滅キャンペーン記念切手の初日カバーです。巨人(世界)がエイズに倒れる多くの人々を支える場面が描かれています。

未完成の絵画

Keith Haring - unfinished painting (1989)|reddit
引用:Keith Haring – unfinished painting (1989)|reddit

1989年の作品です。キャンバスの左上のみに施されたペイントで、エイズにより削り取られていく命を視覚的に表現しています。ペイント部分から滴り落ちる絵の具が、生命のはかなさを象徴しています。

クラックなんてくだらない

ANY KEITH HARING FANS? Looking for some inputs into my thesis on him!|reddit
引用:ANY KEITH HARING FANS? Looking for some inputs into my thesis on him!|reddit

1989年、ニューヨーク、ハーレム地区の公園で壁画として描かれました。へリングはアシスタントがクラック(覚醒剤)に依存していることに危機感を抱き、覚醒剤に屈しないメッセージを伝えるために、この作品を制作しました。

ねずみのANDY

Keith and Andy and Andy Mouse
引用:キース・へリングのポスター「Keith and Andy and Andy Mouse」(1986)|ガレリア・イスカ通信

「Keith and Andy and Andy Mouse」は、1986年に制作されたドローイングシリーズです。へリングは、資本主義への風刺的な作品で知られるアンディ・ウォーホルとも親交が深かったのです。ウォーホルとミッキーマウスを合体させた「アンディマウス」を描くことで、資本主義への抵抗を示しました。

南アフリカに自由を

南アフリカに自由を(Free South Africa)
引用:キース・へリングの缶バッジ「Free South Africa」(1985)|ガレリア・イスカ通信

1984年、南アフリカでアパルトヘイト撤廃と黒人解放を訴えた「南アフリカに自由を(Free South Africa)」運動が起こりました。1985年、この運動に共感したへリングは、支援のために、南アフリカ開放のメッセージを込めたポスターと缶バッジを作成しています。

トゥットモンド

トゥットモンド(tuttomondo)
引用:La storia del murale Tuttomondo di Keith Haring a Pisa | Artribune

「トゥットモンド(tuttomondo)」はピサの斜塔で有名な、イタリアのピサで、1989年に制作された最後の壁画作品です。巨大な壁画には、30人の人物が描かれ、それぞれに“平和”、“生命”、“自然”などのメッセージが込められています。

無題(Untitled (People))

keith haring untitled (people) 1985
引用:無題(ピープル) – キース・ヘリング — Google Arts & Culture

へリングの「無題(untitled (people))」と題されたいくつかの作品の中で、キャンバス上に描かれた横幅4mの大きな作品です。無数の人間が文様のように描かれており、性別や人種、文化の違いを超えた、人間の平等性が表現されています。1985年に制作されました。

日本でキース・ヘリングの作品が見れる美術館

2007年、キース・ヘリングの作品を展示する世界唯一の美術館として、「中村キース・へリング美術館」(山梨県北杜市)が開館しました。日本で、いつでも彼の作品を見ることができるようになったのです。

館長の中村和男が、ニューヨークで魅了されて以来、へリングの作品を300点以上収集し、設立した美術館です。ヘリングの意志をつぎ、作品の展示のほかに 国際児童絵画コンクールの開催、災害募金、エイズ予防啓発イベントなどを行っています。

現在、当館のへリング作品のコレクションは、作品や記録写真、映像などを含めて、800点以上にのぼります。八ヶ岳の美しい自然に囲まれた当館では、彼の作品に静かに向き合い、作品の奥に潜在する『人間が秘める狂気』や 『生と死』を感じ取ることができます。

キース・へリングに関するよくある質問

キース・へリングの作品がプリントされたユニクロの服があるって本当?

ユニクロは2021年に、へリングを始め、ウォーホル、バスキアなどのポップアートの巨匠とコラボした、Tシャツ、キャップ、バッグ、などのコレクションの販売を始めました。

2024年現在は、へリングの作品がデザインされた、UTアーカイブのTシャツやキャップが購入できます。

中村キース・ヘリング美術館にはどんなグッズがある?

中村キース・ヘリング美術館では、海外や国内から集まった、キース・ヘリングのオリジナルグッズやアパレルを販売しています。

ギャラリーショップとオンラインショップでは、ニューヨークのデッドストックやコラボTシャツ、キャップ、靴下、ステーショナリーグッズやアクセサリーなど、300点以上のアイテムを取り扱っています。

まとめ

キース・ヘリングは31年の短い生涯で、社会に大きな影響を与える作品を数多く残しました。そのメッセージに心打たれた、たくさんのファンが、今も世界中に存在しているアーティストです。ポップでシンプルな彼の作品を、気軽にインテリアに取り入れて楽しんでいるファンも多くいます。

「キース・ヘリングの絵画を購入したい、興味がある」という方は一度、ぜひAmalgam Art Galleryにお問合せください。当ギャラリーでは、資産価値のある作品のみ取り扱っており、節税対策を視野に入れたアドバイスも行っています。

また、Amalgam Art Galleryでは、キース・ヘリングの作品の買取も行っております。現在、キース・ヘリングの作品をお持ちで売却をお考えの方も、ぜひお気軽にご相談ください。

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